祖父の面影に|定年退職後は本来の適正で選んだ自分の人生を生きたい

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祖父の笑顔の思い出は、私の心の宝物。

祖父の野菜は素人が作ったというより農業のプロのような、美味しく新鮮な見事な野菜だった。

味覚は永遠の財産になるものなんだと、笑顔で野菜を育てていた祖父に感謝してる。

祖父の思い出に学ぶ 定年後の生き方

祖父は85歳くらいの時に脳梗塞を発症してしまうまで、 趣味でずっと元気に畑仕事をしていた。

祖父の頃は60歳が定年だったか、55歳が定年だったか忘れてしまったけど、定年後の約20年以上の日々を自分の趣味にふさわしい、自分の好きな畑仕事をして楽しく生きていた。

祖父の畑は無農薬で、収穫された季節の野菜は本当に美味しくて、私にとって忘れられない味。

春には大きくて柔らかい春キャベツ、春大根。

夏には太くてみずみずしいキュウリ、真っ赤に熟れたトマト、さやえんどう、インゲン豆、なす。

秋になると畑の傍にある栗の木から栗拾い。

冬には白菜、大根、里芋。

無農薬なので、キャベツを剥くと「はらぺこあおむし」クンなんかがときどき顔を出してビックリしたりしたことも、楽しい思い出。

祖父の野菜は素人が作ったというより農業のプロのような、美味しく新鮮な見事な野菜だった。

味覚は永遠の財産になるものなんだと、笑顔で野菜を育てていた祖父に心から感謝してる。

祖母の笑顔のために

祖父の野菜は祖母の手作り料理の材料になり、いつも食卓にとれたての野菜で作った料理が並んだ。

食べきれないくらい収穫されるので、祖母は保存のための漬物もいろいろ作っていた。
有り余るほどの野菜を調理する時間、祖母も楽しかったのだろうなと思い返す。

夏休みに家にいると、収穫したばかりのえんどう豆が食卓に置いてあり、祖母が豆ご飯を作るための豆をサヤから剥くお手伝いをした。

冷やしたてのキュウリやトマト、スイカもおやつに食べたり。祖母との笑顔の思い出。

祖父はきっと、祖母の笑顔を家庭菜園の野菜で作っていたのね。

最後に祖父の畑に遊びに行った記憶は1994年頃

長男が2歳で次男が生まれてまだ0歳の頃だった。
長男は祖父の畑の土とおもちゃのユンボーで遊ぶのが好きだった。

まだネット通販も大型ホームセンターもなかった時代。

園芸用品の商店や刃物屋さん、金物屋さんで大きめの道具や肥料などの重たいものを祖父が買いに行く時は、私はときどき気まぐれに付き合った。

祖父は今より不便だったあの頃の時代に、いろいろな農業用品、道具や肥料を畑に運び混んで自分の場所を楽しく作って祖母やみんなを笑顔にしていたんだなあと、今になって祖父の大変さが分かってくるような気がしている。

定年後の20年間あまりの日々を楽しみながら生きるには

祖父の定年後のライフスタイルは、とても楽しそうでいつも笑顔で、祖母も嬉しそうで本当に幸せな時間を作っていたのだなあと思う。

定年後に自由を与えられた時間が20年あると思ったら、幸せに暮らすために自分の好きなことをしながら生きて行くことはできるのでは?と祖父に学んだ。

祖父にとっての好きなことが野菜作りだったわけだが、私にとったら何だろうと、今から考えていきたい未来の私の笑顔の種。

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